北海道住宅始原の旅シリーズです。
現在存在する地方自治体としての「北海道」は、
全国でたいへん珍しく「住宅政策」を自前で考え実践している存在。
直近の事例では「北方型住宅2020」という住宅施策を開始する。
ふつうに考えれば住宅施策を一地方政府が考えるのは
国土交通省の管掌領域を侵すことになるのではないか、
そういった官僚機構的「忖度」があるだろうことは自明。
地方自治体は「外交」を独自に他国と条約として結ぶことはできないし、
税を勝手に専断していいワケはない。
であるのに、北海道の側にも国交省の側にも、こと住宅については
表面では相互の間にある了解があると感じられる。
寒冷住宅政策については北海道はかなり自由にハンドリングしている。
それは、北海道という地域が日本の他の地域とかなり違う風土条件を
持っていることからの例外的必然だと思うのが自然だと思う。
しかし、歴史的事実を掘り起こすほどに、
「開拓使」という特異的な機関についての理解が立ち上ってくる。
開拓使という、いまとなっては特異な政府機関は、
ロシアなどの帝国主義列強による植民地支配欲求に対して
日本の領土を保全することと、その領土をどう経営するか、
その両方を実態的に政策推進するために期限付きで設置された中央政府機関。
いわばその住宅政策がそのまま日本の国策であった稀有な事例だと。
しかもその機構成員主流が薩摩藩閥で固められ、
ながくその巨魁・黒田清隆が開拓使を支配し続けたことで、
政治的な力を持ち続けてきた存在だったといえる。
こうした中央政府官庁であったDNAが150年の時を超えても
地方自治体としての北海道には存在し続けている。
その基盤として、先人である開拓使が日本の住宅に対して
どのような施策を持ってあたったか、
その掘り起こせる事実の痕跡から、今を生きるわれわれに大きな
羅針盤を得られるだろうことは明らかだと思われます。
とくに住宅建築の分野においては、かなり決定的な「民族意志」を
そこに見ることが可能だろうと思われるのです。
多くの先人たちが体験し、試行錯誤してきた道程そのものが
民族としての貴重な「資産」であり、それを自覚し続けることが、
きわめて重要なのではないかと思っている次第です。
写真は明治初年、茫漠たる「根室」に忽然と建てられた
「洋風」木造建築群。まさに「意志」が貫かれていると感じます。
Posted on 11月 24th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 歴史探訪
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